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OSK「カンタレラ2016」 (その2) 実践編

OSK日本歌劇団の公演「カンタレラ2016 愛と欲望の毒薬」についての感想である。

観劇前のの予備知識と、ニコニコ動画で見た「カンタレラ2012」の感想については一つ前のエントリに書いた。

実際に観劇した時はニコニコミュージカルとして上演された「カンタレラ2012」と比べながら観たのでここでも両者を比較する形の感想になる。


全体として脚本は前作とほとんど変わっていないようだ。
セリフもほぼそのまま。

大きな違いは、事前に演出の上島氏や出演者が言っていたように、歌に加えてダンスがふんだんに加えられていること。

ヒロインのソロ歌だったところが、歌がなくなってソロダンスになっていたり、コーラスになっていたりすること。
これはルクレツィア役の舞美さんがどちらかいうと歌よりもダンスの人であることから妥当な変更だと思える。
残念なのは前作では歌のバックでヒロインの心象を表すかのようなダンサーの踊りがあったのだが、これがヒロイン自ら踊っているためにカットされてしまったこと。

オリジナルのミュージカルでは、男女のダンサーという役があって、この二人は芝居には直接かかわらず、いろんな場面でダンスを見せる。普通のキャストは歌とセリフ担当。ダンサーはダンス担当という感じだ。
OSKではキャスト全員が踊れる人だから、特別にダンサーという役は無くなるのかと思っていたが、そうではなかった。特に女ダンサーは麗羅リコちゃんという若手娘役の中でも抜群のダンサーが起用されていたので興味津々だったのだが、幕が開いたら初手からダンサー二人、目を奪う見事なダンスでうなってしまった。

それだけにルクレツィアのソロ歌のところでダンサーの出番が無くなったのは残念だ。もちろん舞美さんのダンスも一流で、特にOSK初見のお客様には歌よりも踊りを見てもらった方がいいのは確かだし、独りで場をもたせることもできる。が、欲を言えば、リコちゃんとのからみも見たかった。時には二人の動きがシンクロし、時にはネガポジのように対照的な動きを見せ、つかず離れず、娘役二人のデュエットダンスというのも見ごたえがあったのじゃないだろうか。それにあの袋のような衣裳では、舞美ちゃんのダンスの真価を発揮するには不利だし、ここは自由に動けるダンサーに華を添えてもらうと、OSKのダンス愛好者としては嬉しいところだ。

そんなわけで確実に前作よりも出番が少なくなっていたに違いないダンサー二人だが、その少ない場面でも鮮やかに印象に残るダンスを見せてくれた。それだけに、もっと出番が多ければと思わずにいられない。
麗羅リコという娘役さんは、元気はつらつモードのときと、大人っぽい妖艶モードの時があるのだが、今回は大人っぽいほうでそれが劇中世界によくあっていた。
男役の栞さなさんは、2年前の武生公演で目立つ役を好演していて演技の方に注目していたが、気が付けば確かなダンス力を要求される役どころでよく起用されているみたいなので、こちらも若手有望株に違いない。

OSKファンとしては、もっと二人のダンスが見られる場面を増やしてくれ、という気持ちだ。
前作そのままの長セリフが続く場面の端で二人が踊ってくれていれば随分と気が紛れる・・・というのは極端にしても。

私は元々、OSKでお芝居というのは歓迎しない。
特にセリフの応酬が続く劇は苦手だ。
たとえ珠玉の言葉で綴られた素晴らしい起伏にとんだストーリーの脚本であったとしても、それが膨大なセリフを要するものならば、そんなのはOSKで観たくない。

OSKを観る楽しみは、胸のすくような溌剌としたダンス。体力の限界に挑みながら爽快な動きを軽々とやってのける劇団員さんたち。美しく優雅でいて、鞭のように力強くバネの効いた動き。私個人としてはほとんどスポーツを観るような感覚だ。
ただの競技と違うのは、そこに歌があって、セリフがあって、ストーリーがあって、ドラマティックに体力技を盛り上げるところだ。

例えばフィギュアスケートのフリー演技だが、曲のイメージに則した何らかのストーリーらしきものがある。感情の起伏のようなものは動きで表現されるが、話の筋ははっきりわからない。でもそんなことは誰も気にしない。もちろん見どころは別のところにあるからだ。
私にとってのOSKはこういうのに近いものがある。

だから、芝居の筋が少々トンチキであってもコンビネーション・ジャンプに等しい見せ場を決めてくれればそんなに文句は無い。
今回はセリフ部分が長すぎるのにちょっとばかり閉口したが、歌とダンスのある場面はどれもすごく見ごたえがあったので、私としては満足のいく公演だった。
OSKでお芝居の後に、独立したショーのつかない公演はいつも少々欲求不満が残るのだが、今回は劇中のダンス場面がどれもよかったので十分な満足感が得られた。長セリフとツッコミどころあり過ぎのストーリーに疲弊した心は、フィナーレの「パラジクロロベンゼン」総踊りの爽快感で一掃される。

ちなみにセリフは一生懸命聞いていても今一つストーリーや人物像が把握しづらいので、私のような人は無駄なエネルギーを使わず、出演者の衣装や髪型を詳細に見るとか手の動きや表情をじっくり観察するとかに気持ちを傾けると楽しくやり過ごせると思う。

気付いたのだが、この劇のセリフって「パラジクロロベンゼン」の歌詞と同様、大して意味のないものなんじゃないだろうか。

つまり、劇の主要モチーフであるボカロ曲、それ自体がいわば中二病的な世界観をもっている。
従って劇中世界も、史実にのっとったルネッサンス時代のストーリーと見せかけて、実はルネッサンスっぽいパラレル中二ワールドなのだ。だから、登場人物も歴史上実在の人物とは微妙に違っているし、舞台設定なども時代考証を厳密に考える必要はない。かたいことは言いっこなしの、ルネッサンス風味、でいいのだ。
だから、中世の侍女が、なぜだか現代のメードカフェからタイムスリップしてきたような扮装でも目くじらたててはいけない。
パラジクロロベンゼンが毒の名前ということになっていても、それって消臭剤なんじゃないのと突っ込んではいけない。そういう響きの名前の毒が劇中世界には存在するのだ。ボカロの原曲だって、おそらくはこの言葉の響きのおもしろさが眼目なのであって大して意味はなく使われているのではないだろうか。
そして、膨大なセリフも、「わが名は闇の世界を司る魔王のもと、邪王心眼に守られし、なんたらかんたら」的な、えーっと要するになんでもないことをカッコよさそうな(と書き手が思う)言葉を適当につなげて大げさに言ってみましたか、ということと大差はないかもしれないと思うと適当に聞き流しても不都合はないのでは、と私はこのように解釈してみた。

本当のところはわからないが、こう考えると脚本の弱点は(無いに越したことはないが)まあどーでも良いと、私の中では処理した。

次に、好きな場面とか、各キャストの感想とかを書いてみる。

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