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OSK「カンタレラ2016」 (その1)予習編

ボーカロイドやボカロ曲という言葉は聞いてはいたが、なじみのあるものではなかった。
機械で作った音声を使って曲を作ることができるのだという。

そういえばカラオケに行ったら、いつからか「ボカロ曲」というジャンルができている。
今どきの機械に弱い中高年にはあまりご縁がないけれども、どこか知らない所で一大勢力を築いているとみえる、などと思っていたら、縁は異なもの。
何がどこでつながってくるか、わからない。

ボカロ曲の中でもとりわけ人気の高い曲をモチーフとしてミュージカルが作られていて、それをOSKでリメイクして上演することになった。

それが、先週の土曜から梅田ナレッジシアターで始まっている「カンタレラ2016 愛と裏切りの毒薬」である。

中心となる曲は、タイトルにもなっている「カンタレラ」

カンタレラはルネッサンス期に権勢を誇ったボルジア家が使ったとされる毒薬の名で、曲のテーマはチェーザレ・ボルジアとその妹ルクレツィアとの禁断の愛である。

ミュージカルでは、ボルジア家の兄妹とそれを取り巻く人々をめぐる愛憎や陰謀が描かれている。
劇中で使われるボカロ曲は、カンタレラのほかに、サンドリヨン、パラジクロロベンゼンの3曲。

いずれもその世界では知らぬ者の無いほど人口に膾炙した曲らしい。

OSKで「カンタレラ」を上演すると発表されてから、誰かのツイートに貼ってあったリンクをたどって動画サイトにアップされたカンタレラの映像を見た。
それはどうやらニコニコミュージカル「カンタレラ」初演の映像だったようだ。歌っている人が素人っぽくてその点は感心しなかったが、曲自体はなるほどカッコいい。とりわけ前奏が印象的で、ミーハーがなんとなくイメージするルネッサンスっぽい雰囲気。

後に、ボカロ版の動画を3曲とも見たが、どれもテンポが速くノリのいい音楽でさすが人気が高いだけあると思った。世代が違っても快く感じる旋律は案外それほど変わらないのかも知れない。

私の愛するOSK日本歌劇団。良いところは多々あれど最大の見どころは胸のすくような歯切れの良いダンスだと思っている。
かねがね、今どきのアップテンポでカッコいい感じのアニソンを聞くと、この曲でOSKの人たちが踊ったらどんなだろうと想像してみていた。
現実はさらに一歩先をいったとも言える。
これは大いに期待できるのではないかという気がした。


さて、「カンタレラ」のストーリーについて語る前に主人公のチェーザレについて私が抱いているイメージを説明しておこう。

ボルジアという名前を最初に知ったのは、小学校5年生のときに読んだ「モンテ・クリスト伯」の中でのことだった。
主人公エドモン・ダンテスが獄中で知り合った司祭が語る物語の中に、欲望のために邪魔者を毒殺する冷酷な権力者としてボルジア家の一族が出てくる。ちなみにダンテスが後に手にする財宝はボルジア家の簒奪をのがれるためにとある貴族が隠していたものだった。

これでボルジア家というのは残酷で非道な一族、というイメージが私の中にインプットされた。
人間、最初の印象がずっと後をひく。今回のミュージカルではボルジア家に敵対する勢力が悪役ということになっているが、ボルジア家の敵ならむしろ正義なのではという気がする(じっさいに公演を見たら、どっちもどっちのワルだった)。

「モンテ・クリスト伯」にはルクレツィアの名は出てこない。
ルクレツィア・ボルジアについて知ったのは、もう少し後、中学生になってからだ。

永井路子「歴史をさわがせた女たち(外国篇)」はギリシャ・ローマ時代から20世紀にかけて歴史上で活躍した世界の女性十数名をを簡単に紹介したエッセイ集である。一人に付き数ページでその生涯が興味深いエピソードと共に要領よく語られる。
この本の中でルクレツィア・ボルジアは父と兄の言うがままに政略結婚を繰り返し、運命に流された自主性のない女性とされていて大して印象の残るものではなく、名前を記憶するにとどまった。
今回、読み返してみたらヴァノッツァやホアンの名も出ていて楽しくなってしまった。

その次に、私の記憶にあるもの、実はこれが一番私のボルジア家のイメージを形作っていると思うのだが。
高校時代。5才年下の弟が読んでいた『中一コース』で連載していたマンガ・南部ひろみ「ボルジアの花嫁」。主人公チェーザレは実の妹ルクレツィアを愛していて求婚者や花婿を次々に殺していく。途中の経過は忘れたが、最終回ではなぜか鉄仮面をかぶせられて地下牢のようなところに閉じ込められて終わり。

『中一コース』っていわゆる学年誌なので、お勉強や学校生活に関する記事の合間にマンガがいくつか、少年向きと少女向きの作品が同居している雑誌だったが、そういうところにこんな背徳的で陰惨なストーリーでいいのか?と思いつつ、けっこうおもしろかったので愛読していた。
作者の南部ひろみは、少女マンガ誌でもいくつか読んだことがあったが、当時(1970年代)のありがちな少女マンガ風の可愛い絵で、チェーザレもワンレン長髪の美少年風のヴィジュアルだった。(一条ゆかり「デザイナー」の結城朱鷺みたいな感じ)

このマンガ。学年誌に掲載されたため、単行本にもなっていないし、読者がその年に中学一年生だった人(弟と同年、昭和37年生まれ)に限られるため、ほとんど知られていない。
もちろん、私のように兄弟のを読んでいたというケースもあるだろうが、そんなのは少数派だろう。

なお、近親相姦を扱っているといっても、対象読者が中学一年生だということを考慮してか、性的な描写はない。それどころか、私の記憶ではルクレツィアは兄を慕ってはいるものの、結婚相手に嫉妬して殺人をするほどの執着を兄が自分に対して持っているとは知らないままだったのじゃなかったかな。イノセントな妹に対して、わりとチェーザレだけが一方的に背徳的なのである。


さて、その二十年ぐらい後に、川原泉「バビロンまで何マイル」で私はチェーザレとルクレツィアの兄妹に再会する。このマンガでチェーザレは冷徹な政治家として容赦ない手段で野望を実現していく一方で、出生のコンプレックスと妹への道ならぬ愛を隠している屈折した人物として描かれている。

近年になって、惣領冬実「チェーザレ」や、海外ドラマ「ボルジア 欲望の系譜」を読んだり視たりしたが、このごろは何事も脳を素通りするようで内容がさっぱり残っていない。
結局、いまだに南部ひろみ描くところのサイコキラーが私のチェーザレのイメージということになる。


前置きがながくなったが、今回の「カンタレラ」である。
ミュージカルのあらすじや、ボカロ曲のコンセプトを読んでも、チェーザレとルクレツィアの禁断の関係を中心に描かれることになるはずだ。

古今東西、実の兄妹が愛し合う話というのは、たくさんあるが、血のつながりがある無しにかかわらず、身近な男女が惹かれあうというのはありがちなことだし、それだけならドロドロでもなんでもない。結ばれてはいけないのに思いあっているのはたしかに悲劇だ。が、何の障害もない恋愛ではドラマにならない。
物語が美しくなるか、陰惨になるかは、描き方であろう。

とは言え、もう一つの要素、毒、を考えに入れても、ボルジア家の陰謀とか策略とか、込み入った話になりそうである。
このあたり、小説ならずいぶんとおもしろい話ができそうで、実際私が読んでいないだけで既にそういう作品はあるのだろうけど、お芝居で複雑なストーリーは歓迎できない。
いつものことだが、私は長台詞の続く芝居は苦手だ。
ついでに、かしこぶった重いテーマの芝居も苦手だ。

そんなわけで、「カンタレラ」。
公演には期待をしていたが、ボルジア家の物語にはまったく何の興味もなかった。

OSKの公演に先立ち、ニコニコミュージカルとして上演された「カンタレラ2012」をネット上で見ることができた。
これが意外とおもしろかった。
OSKの配役は既に発表されていたので、この役はあの人、というふうに当てはめて想像するとどの役もそれぞれ適役のようで、実際にOSKの劇団員さんが演じるのを見るのが楽しみになった。
前に見た初演の映像と違い、これは再演で出演者も歌の巧い人ばかりなので聞きごたえがあった。

ストーリーは複雑なようでそうでもなく、それぞれの人が自分の欲望のために殺し合うが全部失敗に終わるという話に近親相姦風味やらマザコン風味やらキリスト教風味やらをまぶして、史実にもとづいたルネッサンスらしい貿易がらみの策略やら気運壮大な世界征服的な野望とかちょびっとアクセントに入れてみました的な。これだけ欲張っていろいろ詰め合わせた結果、セリフが膨大になって延々とセリフの応酬場面が続くことになる。
登場人物の感情が高まった場面とか、話が大きく動く場面には歌があって、おそらくOSKではそこにダンスも入れてくるだろうから、名場面になりそうな予感が持てた。

ラストで毒薬がすり替えられていたために死ななかった、という場面は初演では違っていて本当に死んでしまったらしいが、なぜそんな風に変わったのか。どんでん返しの効果よりも興ざめのほうが大きいように思った。どうしても死なない設定にしたほうがよいのなら、いっそ毒薬がすり替わっている、乃至は何か手を加えられていることがはっきりと観客にわかるような場面が事前にあったほうが、後の「な~んだ」感が少ないのじゃなかろうか。

劇中の歌は、ミュージカルのためにオリジナルで作られた曲と、ボカロ曲をそのまま導入したところと、曲調が違いすぎて最初少々違和感があったが、繰り返して見ているとけっこうしっくりおさまっているように思えてきた。これこそが人気ボカロ曲のパワーだと思うのだが、とにかく3曲ともとても耳につきやすいキャッチ―なメロディを持っていて、劇を見終わった後ずっと頭の中でぐるぐるするのだ。
ヒットするボカロ曲の条件として印象的なイントロというのがあるそうだ。動画で再生してもらうにはまず最初の数小節で視聴者の気持ちをぐっとひきつける必要があるらしい。今回のミュージカルに使われた曲も例外ではない。そのために、2回目に見る時はイントロが始まった時点で「あ、よく知ってる曲、来た!」という気持ちになってしまう。

ショーでもミュージカルでもコンサートでも、全然知らない曲よりも知っている・なじみのある曲が出てきたときのほうが聞くほうのテンションがあがる。一種の条件反射だろうか。
普通はなじみのある曲として認識するには何度も聞かなければならないところだが、そこがボカロ曲の中でも驚異の再生回数を誇る人気曲はさすがで、一度聴いたらもうずっと前から知っていたなじみの曲みたいに感じられるようになってしまった。

こんなところが、OSKの「カンタレラ」を観るまでの私の予備活動である。
それでは次から実際の舞台について書いてみることにしよう。

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