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シネマ歌舞伎 「天守物語」

シネマ歌舞伎 「天守物語」を見た。

シネマ歌舞伎を見るのは、「鷺娘」「二人娘道成寺」に続いて3度目。

単なる劇場中継と違って、撮影や編集にとても気を配ってあるので、舞台を見るのに近い気分が味わえる。
しかもこのごろの映画館の座席はどこに座っても前の人の頭が邪魔にならないようにできているので、画面が隅々まで見えて、快適だ。

それでも、生の舞台には負ける。
生の舞台なら、たとえ3階席にいても、舞台に立つ人の放つエネルギーを感じることができるが、映画にはそれが無い。

とはいうものの、もろもろの制約があって、いつもいつも好きなものを観劇できるわけではないので、こういうシネマ歌舞伎というのも次善の策ではある。

映画に先立って、NHKBSで、白井晃演出、篠井英介主演の「天守物語」新国立劇場公演が放送されたのを見た。
同じ脚本が違った演出で上演されたのを続けて見られて興味深かった。

坂東玉三郎が富姫を演じる「天守物語」という作品は、有名なので以前から聞き知っていたが、実のところ、あらすじだけ聞いて、つまらない陳腐な話だと思っていた。
つまり、この話を一口で言うと “城の天守閣に巣食う美しい魔物の姫が人間の男と出会って恋に落ちる”これだけのこと。
よくある話だ。

しかし、名作と評判をとり、何度も再演されるには、そうなるだけの理由がある、ということを思い知った。

端っこを聞きかじって簡単に判断を下してはいけません。

話の中心となる筋は陳腐かもしれない。
でも周りを彩るディテイルが大事。
そしてただの一目ぼれを感動的な大恋愛にする主演役者の力技。

なにより、セリフの日本語が美しい。
朗々と声に出される文章の響きが耳に快い。

私がいいと思う芝居の条件は、まず脚本が、それだけを戯曲として読んでも作品として鑑賞に堪えることだ。
そういう一つ一つ練り上げられた珠玉のような言葉でつづられたセリフを、巧い役者が声にする。
それはメロディがなくても、あたかも美しい歌のように心地よく聞くことができる。

今まで、泉鏡花の戯曲は読んだことがなかったが、にわかに読んでみたくなって、帰宅してからインターネットで検索した。
「天守物語」は青空文庫で全文を読むことができた。
文章にすると、意外なほど短い。
あらためて、上演に際し、演出と役者の演技の役割の大きさを認識した。

セリフは、今の日本語ではないが、現代の私たちが聞いても判りやすい言葉だが、ト書きはしっかり古文という感じで、少し読みにくい。
シネマ歌舞伎の最初に流れた玉三郎のトーク映像の中で、「鏡花のト書きは詩になっている」という話があったが、そういうことなのだろうか。

玉三郎が最初に「天守物語」を見た昭和35年に富姫を演じた中村歌右衛門の写真が映ったが、私がTVで見覚えのある年取った姿とはまるで違って、ものすごく綺麗だったので、びっくりだった。

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